本当は政治的なクリスマス物語

アドベント(待降節)の二週目に入りました。毎年クリスマスの時期になると、 教会ではイエス・キリストの降誕物語が再現されます。クリスチャンでなくても、子どもの頃キリスト教系の学校で降誕劇に出演したという思い出を持っておられる方々も多いと思います。そのような劇ではたいてい、牧歌的で暖かい雰囲気の中でイエス・キリストの誕生が描かれていきます。馬小屋で生まれた幼子イエスと両親を動物たちが取り囲み、天使が羊飼いたちに救い主の誕生を告げ知らせ、東方から三人の博士たちが星に導かれて登場します。最後にはオールスターキャストで神を賛美して終わる、というパターンが多いようです。現代のクリスチャンたちには、このような「クリスマス物語」が一般的なイメージとして定着しているように思います。

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このような「クリスマス物語」のストーリーは、主にマタイとルカの福音書に収められている降誕物語を組み合わせて構成されていますが、私たちが親しんでいる物語の細部には、聖書の中には書かれていない、後代の人々の想像力の産物と言える要素がいろいろあります。(たとえば聖書には東方から来た博士たちの人数が三人であったとは書かれていません。)

けれども、この投稿ではそういったことではなく、特にルカ福音書2章の降誕物語に注目し、イエスがお生まれになったことの政治的な意味について考えてみたいと思います。

そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。(ルカ福音書2章1-2節)

ルカ福音書におけるイエスの誕生ナラティヴはローマ帝国への直接的言及から始まります。ルカは自分が物語るイエスのできごとは、ローマ帝国による地中海世界の支配という歴史的・政治的なコンテキストの中でなされたということを明らかにしています。その中で、ローマ皇帝アウグストゥス(アウグスト)は世界を支配する存在として登場します。「全世界」というルカの表現はもちろん誇張ですが、ローマ人支配者たちの驕りをも表していると考えられます。

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(ローマ皇帝アウグストゥス)

初代ローマ皇帝アウグストゥス(在位前27-後14年)はユリウス・カエサルの養子で、元はオクタウィアヌスと称していました。彼は前27年、元老院より「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を受けますが、この称号には宗教的な意味合い(「神聖な」)も含まれています。養父のカエサルが死後神格化されたため、アウグストゥスは「神の子」と呼ばれました。彼はローマの内戦を終わらせ、「ローマの平和(Pax Romana)」をもたらした「救い主」として称賛されていました。アウグストゥスは自ら神と称することはしませんでしたが、一般民衆の間ではアウグストゥス礼拝は非常に盛んに行われていました。

ローマによる世界支配のイデオロギーは、皇帝が絶対的主権者であるというものでした。このような皇帝の絶対的主権を賛美する風潮は帝国内の至る所で見られました。一例として、小アジア(現在のトルコ)西岸にあるプリエネで見つかった碑文を取り上げます。この碑文は前9年に作られたもので、一年のはじまりをアウグストゥスの誕生日に移そうというアジア州の決義を記したものですが、その中に次のようなくだりがあります:

我らの生を神的な仕方で統治する摂理は、熱意と大いなる御心をもって、アウグストゥスをもたらすことで、我らの生に最も美しい飾りを与えた。摂理はアウグストゥスを、人々の幸福のために徳で満たした。彼は、我らと我らの子孫にとっての救い主として、戦争に終わりをもたらし、平和を作り出した。皇帝はその現われを通して、彼以前にすでに福音を先取りした者たちのあらゆる希望を超越したので、すなわち彼以前に生きていた善行者を凌駕したのみならず、未来の善行者から、彼に先んじて何かをなすという希望をすべて取り去ったので、そして最後に、世界にとって神〔である皇帝〕の誕生日が、彼に由来する福音の始まりであったので・・・。」(『東方ギリシア語碑文選集』より)。

この碑文には、クリスチャンにとってなじみ深い用語や概念がいくつも見いだせます。「神の誕生日」「福音」「希望」「平和」「救い主」などです。これをルカによるイエスの誕生記事と比べて見ましょう。

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える(原語のeuangelizomaiは福音を伝える、の意)。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主お生れになった。このかたこそなるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。(ルカ福音書2章8-14節)

「救い主」「福音」「平和」「誕生」などの共通点は明らかです。さらに言うと、ここに出てくる「主」という称号もローマ皇帝に対して使われていたものでした。これは偶然の一致でしょうか?この章はアウグストゥスへの直接的言及で始まっていることから、ルカは意識的にイエスとアウグストゥスを対比していると言えます。(ルカがプリエネ碑文を知っていたと考える必要はありません。むしろ、プリエネ碑文は当時の一般的なアウグストゥス賛美の表現を反映していると考えられます。)その意味するところは、真の救い主、世界に平和をもたらす存在はローマ皇帝ではなくイエス・キリストだ、ということです。

このことは、この降誕物語(2章1-20節)の中で、「ダビデ」の名が3回も繰り返されていることからも分かります。ルカはイエスがダビデの家系に属する存在であり(4節)、しかも「ダビデの町」であるベツレヘムで生まれた(4、11節)ことを強調しています。これは何を意味しているのでしょうか?それは生まれてくるイエスが王として永遠に支配することを表しているのです(1章32-33節を参照)。これは明らかにローマ皇帝の世界支配に対する挑戦と考えることができるでしょう。

ローマ人には、アウグストゥスの誕生は人類史における黄金時代の幕開けと見なされていました。しかし、ルカにとってはイエスの誕生こそ、人類史の新しい段階の幕開けとなったのです。それは、やがてこの世のすべての支配や権力がキリストに従属させられることを暗示しています(1コリント15章24節参照)。牧歌的な雰囲気の中で語られることの多いクリスマス物語には、実は非常に政治的なメッセージが込められているのです。